あまりに備蓄がなさすぎるとそれはそれで困ることになりますが、それでもなるべく普段からモノを少なくしておいた方が無駄な出費を抑えることができます。
人づきあいについても同じようなことが言えて、ムダに広く付き合いを広げればお金も時間も取られますが、気の合う人・助け合える人・どうしても必要な範囲くらいまで、とすれば出費もストレスも少なくて済みます。
ミニマリストを目指すレベルまでがんばらなくていい
LIMOの「「持たない暮らし」の大誤算…新型コロナで直面した”ミニマリスト”の悲劇」(https://limo.media/articles/-/17753)によると、持つものを最小限にしてシンプルに生きる道を模索していた人たちが、今回のコロナ禍では、モノの買い置きがなさすぎることで心細さを痛感して、シンプルさを突き詰めることが本当に正しいことなのか疑問を感じたりしているそうです。
モノについてではないですが、ここでも何度か、ただお金を貯めこむにはあまり意味がない・なぜなら一度使ったら消えてしまう現金をいくら貯めこんでも安心を得ることはできないから、と触れてきましたが、だからといって現金ゼロで居ることが正しいとはいうことではありません。
働かなくても家賃や配当や広告料が毎月(もしくは半期毎)入るのであれば、普段の生活費以上の現金を手元に置かなくても、来月また手に入るので問題がないのですが、それでも突然の出費は発生することがあるので、せめて毎月の上がりの2~3か月分くらいは手元に残しておかないと困ることもあります。全くゼロというのはやりすぎです。
モノについても同じことが言えます。腐らないので備蓄が可能・無いと心配だから、といって、例えばトイレットペーパーなどを大量に買い込んでおくと、いくら単価が安くても合計すれば結構な出費になり、しかもかなりのスペースを取ってしまいます。多くあれば安心は得られるかもしれませんが、少なくなると不安を感じるので、一度そうやって買い込むようになると、また大量に買い込むくせがつきそうです。
合わせて他のモノを買い込んだ場合、もしそれが同じような日用品の類であれば、置き場所もそのトイレットペーパーの山の近くになり、在庫の管理がしにくくなるといったことも多々あります。大量に買った当時安心したことは覚えているものの、しばらくするとどれくらい買っていたかも忘れてしまい、どこかで同じものが目についたら、買い置きのクセのせいでまだ必要がなくてもついついまた買い足してしまう人もいます。家の在庫を確認してから買えばといっても、「安いから」といって聞きません。
大量に買い込んだそれらの在庫も売れるのであればまだ役に立ちますが、例えばトイレットペーパーなどであれば、「もう国内生産はやめた」とでもならない限りは値段は大きく上がるようなことはなく、もうけもあまり期待できません。しかもそういう状況下では、売れば自分だってそのうち困ります。
あればいつかは使うものなので完全なムダとは言えませんが、出費は大きくなるので、残せるお金は少なくなりがちです。自粛モードの間には、こうした出費のせいで、普段の月よりも出費が多かった家庭もあるそうです。なければもちろん困りますが、どれだけ買っておけばどれくらいの期間買わずに済むのかはある程度考えて買う必要があります。
モノがなさすぎるとお客も来なくなる?
このように、なるべくモノを少なくしておいた方が出費は少なくて済みますが、あまりにもなさすぎるとそれはそれで問題です。
周りにモノがなかったとしても、今はスマホがあればだれとでもどこともある程度つながることができるので、自分だけが取り残されるといったことはありませんが、自宅にあまりにもモノがなさすぎると、訪ねてくれる人がいなくなるようです。
でも当然そうなるでしょう。ぜひ来てねと言われても、何もないところにいっても退屈で苦痛です。用事がない人しか来ないようにさせることはできますが、それでは来てほしい人も来てくれなくなってしまうので、来させるからには相手をもてなすためのモノくらいは必要です。
とはいえ、なるべくシンプルに+できれば最小限に、という考え自体は無駄やストレスを省くには有効なので大いに賛成です。同じように投資をする知り合いたちも、人付き合いやモノの所有は必要なぶんまでに留めています。