どうも。
creator.kです。
2022年10月1日に、プロレスラー・アントニオ猪木さんが亡くなりました。
様々な功績を残された猪木さんには感謝の心しかありません。
猪木さんが遺した最期の言葉とは。
猪木さんが日本に貢献された数々の実績とは。
570万再生の最期の言葉
心不全で死去したプロレス界のスーパースター、〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の〝最後の仕事〟を記録した動画が大反響を呼んでいる。
猪木さんの公式YouTubeにて、亡くなる10日前の9月21日に撮影されたもので、闘病中の姿を公開していることについて
「見せたくないでしょ、こんなザマを」
と本音を吐露しつつ、勇気をもらっているとの声には
「そういうファンもいることを、自分はしっかり分かっていなきゃいけないのかなと思います」
と寝ながら舌を動かす練習をしていることを明かし
「世界のゴミを消していきたい」
と今後の活動に意欲を示していた。
この動画は、3日午後までに570万回再生を突破しているという。
また、近日中にも動画の後編が公開される予定で、何を語っていたのか注目ですね!
アントニオ猪木の多大なる功績
参議院議員としての2期の務め
国会議員の
「プロレス枠」
と言えば、馳浩元衆議院議員(現・石川県知事)をはじめ、大仁田厚元参議院議員や神取忍元参議院議員が知られているが、そのきっかけとなったのが、アントニオ猪木氏だ。
アントニオ猪木氏が最初に出馬し当選したのは、1989年の第15回参議院議員通常選挙だ。
比例区から
「スポーツ平和党」
で出馬したアントニオ猪木氏だが、当時の参議院議員通常選挙は今と異なり
「厳正拘束名簿方式」(政党名しか書けない投票方式)
だったにもかかわらず、比例区でスポーツ平和党は約100万票を集めることに成功し、1議席を獲得、猪木氏は参議院議員に初当選しました。
参議院議員に就任後は、湾岸危機においてイラク在留日本人が実質的に人質となったなか、急遽
「スポーツと平和の祭典」
をイラクで開催すると発表。
政府は大反対するなか、長州力や馳浩によるイベントを成功させ、在留日本人の解放に繋がった。
また、1995年4月には北朝鮮でもプロレスのイベントを開き、2日間でおよそ38万人の観客を動員したとされています。
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テレビ業界にも大きな影響を
アントニオ猪木の一番好きな台詞 『出る前に負ける事考えるバカいるかよ』 pic.twitter.com/lfC4yTpaoZ — 河村慎司@11/2(水)後楽園ホ-ル (@shi_n_ji_) October 1, 2022
テレビ朝日の早河洋会長は10月4日、定例会見でアントニオ猪木さんについて
「時代を駆け抜けたスーパースター」
とたたえた。
猪木さんが1970年代から同局のプロレス番組
「ワールドプロレスリング」
の高視聴率を支えた立役者であり、プロボクサーの故ムハマド・アリさんとの異種格闘技戦も注目を浴びたことや、同局の関連会社
「新日本プロレス」
のオーナーとしても活躍したことに言及。
「ビジネスパートナーとしての礎を築いてもらった」
と感謝し、心よりご逝去を悼みたいと語った。
猪木さんを取り上げる今後の特番制作については
「年末のいろんな番組で登場することになる」
と猪木さんの実績や話題を今後も取り上げたいと語った。
食卓の調味料「タバスコ」を日本に広めたのは猪木さん!
マキルヘニー・カンパニー「タバスコ」TVCM 1970年代に普及。赤唐辛子等を熟成、発酵させて作られた調味料。プロレスラーの #アントニオ猪木 が当時経営してた貿易会社を通じて日本国内にタバスコの存在を広めた。CMには猪木本人と初代タイガーマスクが出演した。@retoro_mode pic.twitter.com/OmA5uM4Qo6 — やんわり (@soloship777) October 5, 2022
アントニオ猪木さんはタバスコを日本に広めたことでも知られています。
中学時代に一家でブラジルに住んでいた猪木さんは、プロレスラーの力道山に見いだされ、17歳で日本でプロレスデビューした後、事業家として貿易会社
「アントン・トレーディング」
の経営を始めました。
そこで、タバスコ製造と販売契約を結んだことで日本での知名度が急上昇。
大々的に宣伝したことで日本の食卓にも上がり、今やピザやパスタに欠かせない調味料となりました。
過去に各地に出店していた
「アントニオ猪木酒場」
でもタバスコを大量に投入したブラッディーマリー流血場外乱闘が人気だったという。
アントニオ猪木さんの死去に追悼の声やまず
我がスーパーヒーロー、アントニオ猪木が亡くなったとの一報が入った。ついにこの日が来たか、猪木さんが逝ったんだ。まだなんとも言えぬ気持ち。心よりご冥福を祈りします。 — 髙田延彦 (@takada_nobuhiko) October 1, 2022
#巨星落つ ひとつの時代が終わった ニュース見て 頭が真っ白になった 馬場さんとはまた違う 大きな大きな存在 交渉の席で決裂し 結局対戦することはなかった いつも心のどこかに 引っかかったままだった 偉大なプロレス界の父 猪木さん ありがとうございました 心から哀悼の意を表します 大仁田厚 pic.twitter.com/LlzoFdpOju — 大仁田厚 Atsushi Onita (@onitafire123) October 1, 2022
猪木さん お疲れ様でした たくさん元気をありがとうございます — 武井壮 (@sosotakei) October 1, 2022
やっと解放されましまね。 リングを降りても貴方は 闘魂アントニオ猪木でした まさに闘魂そのものでした。 猪木さんどうか安らかに お休みになって下さい。 私の中での昭和のプロレス 時代はこれで終わりたいと思いますが、まだ藤波辰爾 選手が頑張ってます 最後まで見届けます。 合掌 長州力 pic.twitter.com/BuID1o1cpf — 長州力 (@rikichannel1203) October 1, 2022
まとめ
自分は小さいころから、父親にプロレスや格闘技を見せられ育ってきました。
思春期の頃には、猪木さんの延髄斬りやコブラツイストなどの技を真似していたのを覚えています!
身も心も逞しくなれたのは、猪木さんのおかげです。
「元気ですか~~~!!」
「元気があればなんでもできる!」
「いくぞ~~!!」
「1.2.3、ダーーーーーー!!!!!」
猪木さん心よりご冥福をお祈りいたします。