東洋経済の「2ちゃん創設者が論破する「学歴不要論」のウソ」によると、大学はとりあえず卒業しておく価値があるそうです。大学へ行ったどうかによって、生涯賃金で見ると数千間年の差が付くからとのことですが、その程度の差しかつかないのであれば、わざわざ高いお金を払ってまで行く必要はありません。まして借金をしてまで行くなど、もってのほかです。
一生食べていける武器ではなくなった
一昔前であれば、学校教育とやらが一生食べていくための資産として機能してくれたので、他に特にお金を稼いでくれるものを持たない人にとっての唯一の武器でしたが、今は大卒であることを長く使える環境ではなくなってきています。
新卒で入った勤め先を早ければ30代で、40代・50代で途中で放り出されるのもわりと普通になってきており、大卒であることの耐用年数は今では太陽光パネルと同じ長くても20年程度くらいしかありません。
それに平均年収の推移を見てみると、働き手の一人当たりの給与水準が下がっていることもあり、大卒者でも年収300万円台というのは普通です。それに対して大学に行かなかった人の平均年収が200万円台と、差額はたしかに毎年100万円くらいになりますが、正直この程度であれば、給料以外の収入源を持つことで埋めることは簡単なので、それほど大きいとは言えません。
先程の記事によると、毎年100万円くらいといってもそれが一生分積もれば約6,000万円とかなり大きな差がつくとありますが、計算上は確かにそうなりますが、それはあくまで勤め先が一生その人たちを雇い続けてくれればの話です。ですから時々使われるこの「生涯賃金」という概念も、もはやあまり意味のないものに無くなりつつあります。
学歴での賃金格差一生分は住まい分にも相当するとありますが、例えば住宅ローンを組むにあたって、生涯賃金をベースにしたり支払われるかどうかも分からない賞与・あるかどうかも分からない定期の昇給などをあてに返済計画が立てられていたりしますが、突然のクビで計画が狂って支払いきれず住まいを失うことはよくあることです。昨年・今年とすぐ周りでも途方に暮れている人が続出しています。
確かに今でもどこかに雇ってもらうにあたっては学歴という分かりやすい目安を持っていないと、信用が得られない・仕事を任せてもらえないところはありますが、 なければないで別の仕事の道に進むこともできますし、いわゆるデスクワーク系のものよりも長く働けるものもたくさんあります。
それに、先程触れた「給料以外の収入源を持つ=お金に働いてもらい、お金を稼ぐ」にあたっては、 大卒であることは何の力にもならない=学校で頑張ったお勉強が何の役にも立たず、大卒以上の人でも普通に失敗する世界なので、学歴のあるなしは本人の信用には影響がないし、必要ともされません。
労働に関しても、たくさんお勉強さえすれば一生雇い続けてもらえる保証(環境)でもあれば、大卒者であることに価値はありますが、そんな保証は誰もくれません。 なので何かの分野をもっと深く掘り下げて極めたいといった明確な目的でもなければ、少なくとも借金をしてまで無理していくほどの価値はないと言ってよいでしょう。
年収差を埋めつつ、クビのリスクへの備えも万全に
学歴による年収差を埋めるのは難しくありません。
中学・高校卒業後にどの仕事に就いていようが、毎月先取りで数万円を貯め続け、投資用の種銭を作ればよいだけです。
まずは何年か掛けて200万円程度貯まったところで中古の戸建てなどの不動産を買い、それを賃貸市場に出します。入居者が付けば、毎月3万円以上は家賃収入を得られるので、それを毎月の「貯金」と合わせることで、次の不動産を買えるスピードが加速します。
その後も同じプロセスを繰り返すことで、10~15年も掛ければ家賃収入だけで年収差を埋められます。
現金が無ければ心配ということであれば、その後は高配当が付く株式への投資に切り替えます。毎月の貯金を続けつつ、家賃の上がりの全てを再投資に回すことで、毎年、毎月1万円分くらいの配当収入を増やしつつ、流動性も確保できます。
投資を始めてから20年もすると、勤めをクビになるリスクが高い年齢に達っていますが、その頃には家賃や配当などの収入を合わせると、働き始めの頃の給料と同じくらいの副収入を稼げるようになっているはずです。
全ての収入を合わせれば大卒者にも負けないですし、労働収入しかない人と比べれば、クビのリスクに対する備えも強固です。投資に定年はないので、同時にこれが老後対策にもなります。
完全に不必要なものでなかったとしても、以前と比べると学歴の価値がかなり落ちてしまったのは確かですから、経済的にそこそこ幸せに生きていくためには、お勉強で働き手としての自分を強化するよりも、お金を生んでくれるもの自体を増やすほうが効果的かもしれません。