ただお金を失うだけ、とならないためには、「みんながやっているから」同じようにお金を掛けてお勉強をさせるのではなく、それが本当にコストに見合っているのか・将来何がお金を生んでくれそうなのかを自分なりによく考えてお金を使うことが、今まで以上に重要となります。
「みんながやっているから」では、お金が無くなるだけで終わる可能性大
最近また「高学歴難民」という用語をよく見かけるようになりましたが、多額の教育費をつぎ込んだわりには、無職あるいは高い給料が得られる職に就けず、期待していたリターンが得られなくてお金に困る人が増えているのだとか。
でもリーマンショック後くらいからそうなって苦労しているという事例は既に多くあったので、それと変わらず同じようになるべくしてなっただけのようにも見えます。
習い事を色々やらせてみる分も含めると、子どもが一人が育つまでに少なくとも2000万円以上ほど飛ぶそうですが、以前はそのやり方で育った子どもを使ってくれる環境があって、利回り換算すると投資効率はそんなに悪くは無かったので、コスパもそんなに強く意識しなくても良かったのですが、今はそうはいきません。たくさんお勉強をしたというだけでは、なかなか高くは買ってもらえないようです。
確かにいまでも学歴が無いとそもそも応募できないという壁は残っているところもあるのですが、たとえ運良く昔ながらの高給を貰えるお仕事に就けたとしても、三十代後半でクビになることも普通なので、安定して稼げる年数自体も確実に短くなっています。
仮に60歳まで働けたとしても、定年後の延長雇用では、給料が現役時代と比べると半分以下になります。実際に延長雇用で働いている人に聞くとそれが相場らしく、居続けられるだけまだマシだそうです。人不足と言うものの、人が必要とされているのは高度な技術が要る分野か、あまりやりたくないと思われているキツいお仕事だったりします。
新しい世代の人たちが家族を持ちにくくなっているのは、そんな環境も理由のひとつかもと思ったり。
ちがう使い道ものに変えてみると
将来への投資と思って注ぎ込んだ教育費が無駄になったと知るのはとても辛いこと。でもそれは、AI等の進化によって昔ながらのお勉強パワーの価値が下がってしまった現実を受け入れられなかった結果なので、それを学ぶだけのために高い授業料を払ってしまったことは不憫に思いますが、だから言ったのに…と思えてしまうところもあります。
こうした現状を見ていると、教育以外にもお金を向けて人間の代わりに稼いでくれるものを増やしておいて良かったと実感します。
もちろん、自分の代わりに家賃・配当・広告料といったものを稼いでくれるものへの投資も、修繕費がかさんだり、資料の精査に時間が掛かったり、記事代でお金が掛かったりと、色々手間が掛かったり難しさもあるのですが、それでも雇用という他人や環境に左右される部分が大きいものと比べると自分で決められる部分が大きくて、今でもこうして安定的に上がりを得続けられているので、生身の人間よりも心強かったりします。
頑張りという積み上げがずっと自分のものとして残る=稼ぎ続けられる基盤として手元に残るのも、雇用には無い大きな強みです。
しかも、死んだら消えてしまう学力とはちがって、築いた基盤はそのまま子どもに残せます。継いだ子どもは、学歴なんか無くてもその基盤を活かすことは出来ます。そもそもこの分野では、学力や学歴は何の助けにもなりません。
もし今のまま進んでいても子供の将来が不安なのであれば、新しい年を迎えるにあたって、「働くためにお勉強する→そのためにはいくらでもお金を掛ける」が本当にコストに見合っているのかをよく考えて、他のルートも探ってみると、見通しが変わってくるかもしれません。