完全な「自由(=自己責任)」が怖いのは分かります。でも「不自由=守られるけど自分では選べない」と並行して労働とは道にも少しずつ進んで慣れておくと、後々、不自由な道一本だけを進み続けるよりはそこそこ自由で幸せに生きられる可能性があります。
一生安泰の道はもう無いのは分かっているものの…
最近行われたとある調査によると、ここ数年で新たに社会に出た人たちは、自由な道よりも多少不自由でも安心を与えてくれる道を選ぶ傾向があるのだとか。
親たちの世代が40代あたりで割と簡単に切られたりするのを見たくなくても見慣れていて、今はもう一生安泰の道はほぼ無いので自分でレールを敷いていくしかないと分かっているはずと思いきや、その覚悟を持てる人は今もまだ少ない、というより若干割合が増えたようです。
「自由」ということは何でも自分で決めて責任を負わなければならないので、できれば昔に帰りたいという気持ちは理解できます。ですが、もう昔は戻って来てくれません。しかも流れは加速していて、早ければ30代から希望退職者を募集しているところもあるので、雇い続けてもらえる年数は年々確実に短くなっています。
70代になっても働けるようにと法整備は一応進んでいますが、実際にはその歳まで好待遇で使い続けてくれるところはまずありません。働き口は在るにはありますが、現役時代にやっていたものとは全く別の仕事に就くことになるし、もし現役時代の仕事を続けられたとしても、もらえるお金は現役時代の3割~多くても半分まで下がるのが相場のようです。
そうした現状を踏まえると、働き手としての価値を高めるだけでは経済的な将来不安を解消できるとは思えません。
「もっとお金が欲しい」あるいは「将来が不安」なら、変に副業をするよりは本職の雇われ仕事をもっと頑張るべきという考えもあるそうなのですが、正解のように見えて、これは不正解なところも。
なぜなら、どこで雇われて働くにしても、雇う側の都合でいつでも唯一の収入源が断たれてすぐに生活が破綻してしまう大きなリスクは常につきまとい続けるからです。
また、働いて得るお金には「また来月も入ってくるから」という思い込みがあるからか、金額に関わらずパーキンソンの法則の通りに入った分だけ出てしまう傾向が強いので、「いざというときは貯えを取り崩して何とかしのぐ」計画であったとしても、貯める段階で早々に挫折してしまうのもわりと普通です。
別の収入源を持つことを考える
「自由」は怖いかもしれませんが、少しでも若いうちから給料とは全く別の収入源を作って慣れておくと、そんなに怖くありません。働き手としてのみ生きるよりも、もっと安心して生きられます。
もちろんそうした収入源を維持し続けるには手間とコストが掛かりますが、それでも労働に比べれば遥かに少ない時間と労力で済むので効率的で、余った時間を全く別のことに回すことができます。
雇われている自分がどうなろうとも、労働とは無関係のそれらの別の収入源は影響されないので、合わない人と無理に同じ空間に居続けなくても良いし、いざとなったら納得できない命令には従わなくてもなんとか生きられるという心の余裕も持てます。
自由を捧げる代わりに安心をくれる環境はもう戻って来そうにはないので、少しでも早く備えていきましょう。
大量解雇→ローン破綻→引っ越し→生活再建の道のりはあまりに遠く…といった事例を実際にいくつも目にすると、給料というものを今でも安定した収入源・長期計画を立てるにあたっての唯一のベースとして扱うこと自体が、そもそも大きな間違いのように思えてなりません。