働いて多く給料をもらえるようになりたいという人は多いのですが、その苦労に見合ったものが得られるかどうかは疑問です。多くもらえばその分大変になるし、もらっただけ出てしまうので、結局ずっと苦しいのは変わりません。
それに仕事がいつどうなるかは環境や都合次第なので、勤め仕事一本に全てを掛けるのは危険です。他にも稼げる手段を持って置き、収入源の一つくらいに見ておくのが良いでしょう。
煩わしさに耐えて多くもらっても、長くはもたない
幻冬舎ゴールドオンラインの「相性が悪い上司、指示無視の部下…板挟み「中間管理職」の悲哀」によると、結局雇われて働く限りは煩わしかったりどうにもならないような人間関係があったとしてもガマンして働くしかないとあります。当たり前のことですが、その通りです。
勤め仕事の場合、雇われ先は基本的に他人のものですから、自分でどうこうできる部分はほとんど何もありません。誰とどれだけ関わるかも、雇う側が決めることなので、合わない人がいたとしても、そこに居る限りはガマンして付き合うしかありません。
そうした環境かでは給料を多くもらえるようになれるかどうかは、ひとえに「合わない人たちともどれだけ合わせられるかに掛かっている」とも言えそうですが、ずっとそんな無理をし続けるとなると心身ともに負担が掛かります。
元上司だった人も、「いうことを聞かない部下がいる」「こんなものを課せられている」と時々色々こぼしていました。働かされていたその部下の人も合わずにストレスがあったかもしれませんが、指示を与える側も言い聞かせるのは大変そうでした。合わなければ指示も通りにくく、思ったほど進まないこともあるようですが、与えられた人数でノルマをこなすには何とか動かすしかないので、見ているとかなり苦労が多そうでした。そうするとストレスも大きいので健康リスクも高まります。
そうした調整をしながらさらに上からの指示を受けて何かをこなして…となると、自分の時間も多く取られます。結局それに耐えきれず身体を壊して辞めた人も多く居ました。外資にはいちおうこれにもあるとおり社内公募という制度がありますが、それをつかってもその後上手く行くかどうかは運次第です。
多くもらえれば、たしかにその分もっと質のモノやサービスが手に入ります。苦労が多いとご褒美というか見返りみたいなものも欲しくなるらしく、入りが増えた分だけ多く使ってしまうようです。 もしそうしなかったとしても、おこぼれを欲しい人たちがやって来て、そうするように煽ります。 だから支出が増えます。そうなると最終的な手残りは、給料が少なかった頃とあまり変わりません。自転車に近い状態なので、入るものが断たれたら破綻してしまいます。
苦しいながらもずっとそれだけの給料がもらえるという保証でもあればよいですが、そんな保証はありません。環境が変わったり勤め先自体が苦しくなれば、出されてしまいます。良くても給料は激減します。出された後にはもらった退職金でも消しきれなかった借金だけが残り、子どもの学校も変えないとなりません。
そうした姿を見続けると、煩わしい人間関係に耐えながら重い責任や大きなリスクを背負ってまで、給料をたくさんもらう価値があるのかは疑問にしか思えません。
決して簡単に・自動でではないのですが、もっと少ない苦労と時間でお金を稼げる収入源を持っていると、苦労だけが多くて得るものがあまりに少ないようにしか見えません。
負担の小さいほうへシフトを
雇われている身である限りは、給料をいくらたくさんもらえるようになっても、いつでも簡単に吹き飛んでしまう弱さは変わりません。いいポジションに長く就けたとしても、そのぶん多く心身に負担が掛かります。
それならば、給料以外の収入を増やしていくほうが安全で負担も小さくて済みます。
給料の一部を貯めてそれがある程度の額になったところで何かお金を生んでくれるものを買い、そこから上がる新たな収入を合わせてさらにそれを増やしていき…を進めていく場合、何と誰とどれだけ関わるかは、すべてじぶんで決めることが出来ます。じぶんには向いていないかもしれないとか合わないかもしれないと思われる人とは関わる必要がありません。同じ苦労を繰り返し続けなくても稼げるのでずっと負担が掛かりつづけるといったことがありません。関わりのない人間は入ってこれないので、知らないだれかの巻き添えで責任を負わされるといったこともまずありません。
自分の力ではどうにもならない部分が多い勤め仕事は若い間にそこそこ使える収入源の1つ程度に思ってくのが良いかもしれません。出来るだけ早く給料への依存度を下げるほうが経済的にも安定的に、そしてわずらわしさを感じずに健康的に生きられます。