お金を稼ぐためには「まず支払い⇒あとから上がりを得る」の手順を実行するのが重要だったりするのですが、「一生懸命お勉強をして⇒いいお仕事に就き⇒いいお給料をもらうことを目指せ」と言われ続けてきたためか、これをやらないからなかなか稼ぎを増やすことができないということに気付かない人も多いようも感じます。
働く・貯める、だけでは限界があります。
持続可能状態を作るために、微力ながら…
プレジデントオンラインの「「寄付も投資もしない」日本人のお金の使い方が残念すぎる理由」によると、今以上にお金を稼ぎたかったら、投資も寄付も大事とあります。ですが寄付に限って言うと、過去に寄付をしたことがあるという人は2割程度しか居ないそうです。
試しに少し周りでも寄付をしたことがないという人にそれとなく理由を聞くと、助けたくてもお金に余裕が無いからという人もいて、さすがにじぶんが倒れてまでするべきものでは無いので、それは本当に仕方がありません。でもそこそこお金がありそうな人でも寄付をしていないという人はいて、理由としては、自分自身への直接的なメリットが無いからだそうです。
なるほどつまりこれにもあるとおり、寄付というのはお金に余裕がある人がやることで単なる人助けでしかないと思われていて、投資とは全く認識されていないようです。
以前ここでも触れましたが、いまは少額ながら定期的に、恵まれない環境に居る子供たちを支援するための団体などに寄付しています。理由としては、もちろん純粋に少しでもだれかの助けになればという思いもありますが、長く投資で稼ぎ続けていくには、みんながそこそこ生きていけないとと難しいかもしれないと感じたからです。
いまのところそれぞれの投資対象は、必要とされている⇒選ばれて使ってもらえているからこそ、お金を稼いでくれていますが、いくら必要とされていたとしても、対価を支払える人がいなくなってしまったら、投資対象もお金を稼いでくれなくなります。最後は投資家も苦しくなります。
なので環境問題ではないですが、似たような理論で社会自体の形がそれなりに保たれていないと投資も結局上手くは行かないので、一定額を入れるようにしています。
直接的にはじぶんへのメリットはほとんど無いにしても、間接的にはこういうのが大事だとは思うのです。稼ぐための土台維持という意味で、これも将来への投資として見ることが出来ます。
そういう意味でも、これにもあるとおり寄付と投資は無関係ではありません。
巡り巡ってじぶんのもとに
寄付には他にもメリットがあり、たとえば税金の支払いも少し軽減されます。先程触れた団体などへの寄付は、収入から差し引いて良いものと認められているため(*寄付なら何でも認められるわけではないので、「控除を受けられる」ところを選ぶ必要があります)、その残りに対して税額が掛けられることになるので税金が軽くなります。
それに総額で見ればどこかに支払って消える金額自体は変わりませんが、お金はじぶんが入れた先が使ってくれるので、寄付した先自体がしっかりしているところであれば、ほぼ確実に助けたい人たちのためになります。ムダになることはありません。
これはふるさと納税についても言えます。どうせ同じ金額が手元から消えて無くなるのであれば、勝手にわけの分からないことのために使われるくらいなら、自分が選んだ助けたい人/事業のために使われたほうが良く、しかも納めた額に対して最大3割分のお礼が来るならその分はもうけと見ることもできます。お礼は色々批判もされていますが、地元の産業の後押しにもなっていると思うのです。
「働く・貯める」しかしないでいるということはつまりお金が回るための起点の部分が無いということになります。それがなければ回らないのでお金も増えてくれません。働くや投機などで「手っ取り早く儲けよう」ではなく、長くじっくり育てたものから上がりを得るくらいでいるほうが、結果無理せず堅く稼げそうな気がします。