「むかし○○というポジションに就いていた」と誇ったところで、行きつく先はあまり変わりません。やりがいとかいうものにダマされて頑張り過ぎたところで最後に自分の手元に残るものはほとんど増えないので、どうせ上もしくは先を目指すなら、勤め先での仕事は必要以上に頑張り過ぎず、他の世界で自分の領域を広げていったほうがもっと自身のためになります。
働けど働けど…
幻冬舎ゴールドオンラインの「手取りは40万円台…日本の「課長・部長」生活きびしい貯金額」などをみると、どれだけお金を貯められるかと勤め先でどういうポジションに就いているかはほとんど無関係、=もっと言えば給料の多い少ないはほぼ関係が無いことが分かります。
これによると、勤め先で課長クラスのポジションに就いている人の月額平均給与は手取りで約40万円となり、部長クラスになると約48万円くらいになるそうです。ポジションが上がれば確かに給料自体は増えるものの、手残りを比べたらほとんど変わらず、老後が不安になるのは同じだそうです。なぜならお金が多く入ってきてもパーキンソンの法則どおりに、その分多く使ってしまうから。給料というのは安定的な収入源として勘違いされているので、多く入ればそれを当てにもっといいものを食べて、いいものを着て、いいところに住み…と生活レベルを上げてしまいがちです。でもそれではいくら給料が増えたところで生活に追われ続けるのも将来老後が苦しくなるのは変わりません。
ただ、勤めて働いている場合はそうならざる得ないあるのも分かります。給料はある程度ひとに見えてしまう収入源です。統計があるくらいですから、どの「ポジションに就いているかで大体いくらくらいもらっているかが分かってしまいます。周りの目も気になるのでそれなりに…と色々お金を掛けないとならなくなるし、「あなたにこそふさわしい」とあれこれ勧められたら乗せられてしまう人も多いようです。
そうなると、「収入-支出」の幅を広げることが出来ないので、いつまでも苦しくなるだけです。
単純に経済的に苦しいというだけならまだマシながら、ポジションが上がれば他の人員の面倒見も任されて責任も重くなります。課される目標達成の難易度も上がります。コスパに見合っているかどうかも厳しく見られるので、クビにもなりやすくなります。それに激務で拘束時間も長くなるので、身体を壊すリスクも上がり、その仕事以外のことに時間を使うのも難しいので、何かがあった時の備えをすることができません。
もらえる額が増えたとしても、ほんとうにその苦労に見合っているのかも疑問です。
長く頼れるものを持ち、積んでいこう
でも給料以外の収入源を持ち、それらから上がってくる稼ぎを増やしていくと、状況は大きくちがってきます。
まず、たとえば不動産や株式やwebメディアなどは、そうした収入源を持っていることを他人に知られたとしても、それらから家賃や配当や広告料をいくらもらっているかを言い当てられることはまずありません。無関係の人には見られていないので、人の目が多い職場から上がる給料のように「○○円もらっているのだから、それにふさわしくしないと…」と無理にお金を使って格好つける必要がありません。
無理して生活レベルを引き上げる必要が無いということは、「収入-支出」の幅を大きくできるということですから、その差額をまた家賃や配当や広告料を生んでくれる収入源を増やすことに回せば、さらに経済的な余裕を持つことが出来ます。
しかもこれらから上がってくる稼ぎは持ち主の健康状態や雇用状況とは連動していないので、事前に取り決められた条件さえ満たされていれば、お金を稼ぎ続けてくれます。単なる貯金ともちがうので、何度使っても無くなったりはしません。労働は尊いものですが、そうした経済的な安心感はくれません。
基本的に頑張ったぶんは雇われた先のものとなってしまいます。積んだ頑張りを再利用して半ば自動的に何かを稼ぐといったことが出来ないのが労働の大きな弱点でもあります。もちろん働くことで得たスキル自体はどこかで再利用することは出来ますが、それを使う機会を与えられ、自分自身が物理的に動き回らないとお金は稼げません。
「むかし○○だった」は、自分を助けてくれる資産にはなりません。安心や安定を得たければ、生身の自分以外のずっと頼れるものを作っていきましょう。