一昔前まではただずっと普通に働くだけでも何とか生きていくことが出来ましたが、今は働けど働けど暮らしが楽にならない・老後が心配という人が多くなりました。そうした状況を見て、まじめに生きている人たちが幸せになれない社会は間違っているという人もいるのですが、よくよく考えてみるとわりと歴史を通してそういうもんだったようにも思えます。
どこかに属して普通に働いてその一部になるだけではおそらく一生苦しいままです。そこそこ経済的に幸せに生きたければ、じぶんで何かを持って回す側になるしかありません。
稼ぎは持ち主のもの、に変わってきた
一生懸命お勉強をして、いいお学校へ入り、いいお仕事に就き、いいお給料をもらい、そこそこ幸せになる⇒子供も同じことを繰り返す、のサイクルが崩れてしまいましたが、なぜそうなってしまったかというと、大きな理由の一つに、ビジネスが生んだ利益が本来それをもらうべきそのビジネスにお金を出した人たちに「返される」ようになったことが挙げられます。
働き手になるべく多く分配されていた時期が長く続いたせいか、わりと最近まで企業や事業は働く人のものと勘違いをしてしまっていた人は多かったようなのですが、外からの持ち主も増えて以来流れは変わってしまいました。稼ぎは持ち主に返せという声が強まり、働き手に配られるお金は減りました。それ以降、働き手の平均年収はほとんど上がらずの状態です。
そんな中でも何とか頑張ってまだいいお給料をもらえている人たちもいますが、そもそもそうなれるための維持費が掛かり過ぎる・もらえたらもらえた分だけ使ってしまうものでもあるので、もらえる額がいくら増えても楽になることがありません。しかも現役の途中で突然クビになればそれが一瞬で崩れてしまうし、そうなるリスクも給料をいくらもらっていようがほとんど変わりません。むしろ多くもらうほど、コスパをより厳しく見られるのでリスクは高くなります。
一生懸命お勉強をしていっぱい働けば幸せになれると言い聞かされてきたのに、なかなかそうならずに騙されたと感じる人も多いでしょう。でも経済の仕組みがそうなっているので仕方がない面もあります。
労働以外の収入源を
普通に働いても幸せになれないと聞くと、希望が無いように思えてしまうかもしれませんが、お金を稼ぐ手段は「生身の自分が働く」だけではありません。
毎月もらう給料の一部を先取りで避けて置き、それをある程度の額に達したところで、家賃や配当は広告料など何か給料以外のお金を生んでくれるものに持ち替えると、仮にもし生身の自分自身の給料が一生上がらないままだとしても、収入を増やしていくことが出来ます。
上がる収入には手を付けず、それをまた投資に回し、加えて毎月の「貯金」も続けることで、さらに収入源を増やせます。じっくりと時間を掛けてその手順を繰り返せば、いつかは生身のじぶんの給料を上回るほど副収入を稼げるようにもなります。
不動産や株式やwebメディアなどといった資産は持ち主の意思の分身のようなもので、自身がその場に居なくてもお金を稼いでくれます。生身の人間は一時に一か所にしか居ることが出来ないので動き回って稼ぐにも限界がありますが、投資をすれば各所に散らばったじぶんの意思たちが、お金稼ぎを手伝ってくれるので、同じ時間で効率よくトータルでの稼ぎを増やすことが出来ます。
しかも普段はそれほど手が掛からないので、 幻冬舎ゴールドオンラインの「お金がないのも当然…日本人にありがちな「持たざる者」の思考」などにもありますが、 代わりに稼いでもらうことで、時間的にも余裕を持つことが出来るのです。
こういう大事なことを教え切れていない・40年近くずっと必要としてもらえる人を育てられていないところからして、高等教育とかいうものには無理にお金を工面してまで買う価値は無い・それならばいっそのこと最初から稼ぐもの自体にお金をつぎ込むべきと思ってしまいますが、とにかく普通にお勉強をする⇒働くだけでは生活にゆとりを持つことはできません。
普段の苦しさから抜け出したいと願うなら、じぶんがお金のために働くだけでなく、じぶんもお金にも助けてもらう=働いてもらう、を進めていきましょう。