一生懸命働いていても生活に追われるままで、何をやっていても上手くいかないときに、組織(勤め先)が悪い、政治が悪い・時代が悪い・世の中が悪いと自分以外の何かのせいにしたくなる気持ちは分かります。もしかしたら本当にそれらのせいかもしれません。
でも「○○が悪い」といったところで、何も変わりません。本来こうあるべきと思うだけで環境が変わって状況が良くなる可能性はほとんど無く、ただ時間が過ぎるだけなので、今置かれている状況が良くないままで変わらないだろうと分かっているならば、自分のためにお金を稼いでくれるものを自力で増やしていき、状況を変えていきましょう。
不平不満を言い続けてもただ時間が過ぎていくだけなので
真面目に生きてても生活が苦しかったりすると、置かれた環境が悪いからと思いたくなるかもしれません。ですが、生きていくのが実質的に苦しいのは、ほんとは大体いつの時代もそんなに変わらないのかもしれません。
バブル時代の記憶について聞かされると、一見昔の人は恵まれていたように思えたりもしますが、そんな時代にも不遇で困窮している人は一定数いたはずです。それよりも前の高度成長期はもっと多くの人がいい思いをできたかもしれません。ですが当時はスマホもないし交通網や移動手段だってまだ未発達で、色々不便だったはずです。
数十年前はいい時代だったかもしれませんが、ちょっとしたことを一つ知りたくても調べ回るのは全て手作業になり手間が掛かり、人との連絡も付きづらく、移動にも時間がもっと掛かっていました。何をするにも大変です。医療も未発達だった部分があり、今なら助かる病気でも当時はなったらその時点でほぼ終わりでした。
生きづらさをどれだけ感じるかは個々の気持ちの持ちようによるところが大きいので、一見するとまだ伸びしろがあって頑張ればそれだけ報われた時代のように見えて、常に頑張り続けないといけないのがきつく生きづらいと感じていた人もその頃からすでにいたはずです。
でもいまはほとんどだれでもスマホ一台あれば生活に必要な情報は手に入りますし、交通網も流通網も細かく広がりサービスの種類も増えもっと便利になっているので、昔よりは今のほうが暮らしやすくなっています。 一つ一つの行動に掛かる手間や時間は減ってきているので、もしじぶんが置かれている環境を変えたいと思ったら、それに充てられる時間はもっと多いはずです。
昔の人は普通に働いているだけでいい思いができたのに自分たちの世代は不遇だ…とか思っても何にもなりません。一度ある程度の水準まで成長してしまうとそこからさらに上を行くのは難しいのでどうしても低成長になります。他の国を見ても分かるように、そういう状況にあっても成長は可能です。でもついて行けなくなり生きられなくなる人がたくさん出てしまいます。ゼロ成長が続くのは、なるべく弱肉強食にならないようにと選んだ結果でもあるので、暮らしぶりがあまり変わらない=給料が上がりにくいのは仕方ありません。ごく普通の人でもそこそこ皆が食えてるだけ、他の国よりまだ少し幸せとも言えます。
勤め先では頑張り過ぎず(給料分だけしっかり働き)、じぶんのことに力を入れる
それでも今の暮らしに満足できないと思ったら、じぶんで環境・状況を変えるしかありません。
勤め先が悪いから稼ぎが良くならないとか思ってもほとんど無駄なことです。組織はそう簡単に変わりません。変わらないものは他人のものとあきらめ、突き放し、じぶんだけのものを築いていきましょう。
難しいことは何もありません。勤め先での仕事は割り当て分=給料分だけしっかりとこなし、それ以上は奉仕しない。毎月必ず先取りで一定額を貯金して、自分の資産を積み上げるための種銭つくりをする。どういったものを買って活かせばよいのかを学ぶ、何か他にできることが無いかを考える・あればそれをやる、とじぶん優先で時間を使っていけばよいだけです。
一つ一つの行動に掛かる手間や時間は減ってきているので、もしじぶんが置かれている環境を変えたいと思ったら、それに充てられる時間はもっと多いはずです。
幸い日本は、そういったことをするにあたって必要となる元手が少なくて済むいい環境です。他の国ではなかなかそうはいきません。順調に経済成長を遂げて資産価値も順調に伸びている分、もっと大きな元手が必要になるので、同じ手法で経済的余裕を持つことを目指すのが難しかったりします。そう考えたら、日本の環境は恵まれているともいえます。
働く以外にも目を向ければ自分が置かれている環境から「抜け出せる」チャンスはあるので、是非それを活かしていきましょう。