たくさんの人がいる中に居ないと不安を感じるという人たちの多くは、「景気サイクルと連動せずに生きる」「周りと合わせない」と聞くと、地味でつまらない人生であるかのように思ってしまうようなのですが、そんなことはありません。周りとタイミングを合わせない形で生きると、同じようなことを安くできるのでお得というだけです。
需要と供給
少しずつ変わってきたとはいえ、いまでもまだ無理にでもみんなと同じことをすることで安心を感じるという人は多いようです。流行りものの店周辺の行列や似たような恰好や湾岸沿いのマンションなどを見ていると、周りと合わせる・よく知られているイメージどおりに生きるための重いコストで、知らぬ間に日々苦しんでいる人がとても多いように見えます。
流行りのものを飲み食いしようとすれば、長時間行列に並ばないといけません。まずこの「並ぶ」も考えようによっては時間の無駄で、一時間もあれば他に何かできそうです。ほしいという人が多ければ価格も基本的には高いままですが、落ち着けば価格は下がります。流行りに触れたことがなくたってそれだけで周りより劣るなんてことはありません。ですから近づくのは落ち着いてからでもよいとは思うのですが…。
着るものについても同じです。流行りものを買っても数年後にはもしかしたら逆に着るのがハズかしくなることもあるかもしれません。物理的には使えるのに着れなくなれば完全な無駄ですから、それならば最初から普遍的なものにしておいたほうが良かったのかも。
もっと大きなものについて言えば、住むところについても同じです。周りを気にしてみんな○○のようなところに住んでいるから…とそれと合わせようとすれば大きなコストに一生苦しむことになります。一生がもし大袈裟だとしても現役の間はほぼ確定です。
景気がいいときは、給料があたかも安定した収入源であるかのようについ錯覚してしまいがちです。それをあてにして住まいを購入してしまうと、まずその住まい自体の価格が高すぎるのでその時点で既に損が確定し、夫婦二人でローンを限界まで組んでいるので、その支払いの重さにずっと苦しみます。苦しみながらでも支払い続ければまだマシですが、「35年何も起きなければ」なんて奇跡が滅多に起こるわけがなく、働き手はわりと簡単にクビになるので、どちらかがクビになった時点で破綻します。何とか買い取り手が見つかっても、元値が高すぎるので、撤退時に残るのは借金だけです。
教育費にも時価というものがあるのかは分かりませんが、これについてもその時の流行りに飛びついて○○さんと同じところに行かせてあとで使えず(=お勉強をしても雇ってもらえず)後悔するくらいなら、長く使えそうなものに最初からつぎ込むほうが良いのかも。
タイミングをずらすだけで
ひとの目をあまり気にせずにいれば、そういったコストに苦しめられずに済みます。思っているほどひとは自分のほうなど見ていないので、それを実行するのも簡単です。
「景気と連動しない」とかいっても何も難しいことはありません。ただタイミングをずらしているだけなので、他の人たちと同じようなことを楽しむことも出来ます。
景気がいい時には流行りものには手を出さずハデにお金を使わずに居て、大きく後退するまではじっとしています。冷えついた時にはあらゆるモノやサービスが安く手に入ります。周りには景気と連動してしまったので手持ちが残っていないという人が多くて、みんなと一緒に楽しむことは出来ないかもしれませんが、欲しかったものであればそれに無理なく手が届き、ゆっくり楽しめます。
倒れて困る人は多いのでそれを待つなんて冷酷に聞こえるかもしれませんが、冷えついた時にお金を使えばそれがだれかの助けにはなるので、悪いことではありません。いつも推奨している「お金を生んでくれるもの自体を増やす」を進めていく上でも、これは重要なポイントでもあります。
投資と投機や商売とは本質的に異なるものとはいえ、投資であってもなるべく安く買って原価を抑えられるのであれば、そうするほうが当然有利になります。