勤め先に愛着を持たない働き手が増えてきたことについて憂慮する見方があるようなのですが、お金を払って働いてもらう・もらった分だけ働く、ができていれば問題はないと思うのですが…。お互い将来のことを保証し合えるものでもないので、それくらいの関係と思っておいた方がちょうどよいと思うのです。
愛着を持たせるのは無理な話?
LIMOの「コロナ禍で「会社は別に好きじゃない」社員が7割!その理由は」によると、コロナ禍が起きて以降、勤め先に対する愛着が高まった人は3割にも満たなかったとのことですが、リモートが推奨されて物理的な接触機会が減って、財務状況が厳しくなればクビにするしかなく、実際それを実行しているので、そんな状況の中でより強く愛着を持てと言われても難しいはずです。
何のために雇われて働くのかという問いに対しての答えは、自分の居場所や生きがいを見つけたいとか人の役に立ちたい等人それぞれ色んな思いがあるでしょうが、働く理由の一番は生きていくためのお金をもらうためではないでしょうか。
だとすれば、 人を雇う側と働く側は、お金を払って仕事を頼む・約束された分だけ働く、ができてさえいれば成り立つ関係のはずなので、どちらかが対価を支払わずにそれ以上に何かを要求すると、相手の一方的な負担となってしまいます。つまり雇われ先に愛着を持てと言うならば、そのぶん働き手に何かを与えないとなりません。でも今は一生雇い続けるといった保証をすることもなかなかも難しく、働く側も周りでよく人がクビになるところを見ていますから、勤め先に過度の期待をしてはいけないことくらいは75%の人が分かっているようなので、ある意味健全な状態なのではないでしょうか。
働き手の勤め先への愛着が薄れると何が問題なのか具体的に触れられていないので分かりませんが、労使がドライな関係になると生産性や競争力が落ちるとか危惧しているのでしょうか。もしそうだとすれば、それに関してはあまり心配はなさそうな気がします。今まで見てきた限りでいうと、転職者の多くてそれぞれが何年間くらいしか在籍しないような、悪い言い方をすれば寄せ集めだとしても、それぞれの働きに対してそれなりの対価を支払えば、それなりの成果を得られます。
多めに払ったり真面に接していたとしても、それでも働き手が外れてしまうことはあります。常にスタッフを抱えなければならない事業をやっている場合は打撃が大きいかもしれませんが、雇う側にも事情があるように、働く側にも事情はあるので仕方ありません。また探して雇えば良いくらいに思うしかないでしょう。実際そうするしかないありません。
働く側も、勤め先は基本的には働いた分だけお金をくれるところくらいに思っておくのが良いのでは。お金をもらった分だけはしっかり働かなければなりませんが、それ以上のことを無理にやる義務はありません。少し前に流行った「経営者目線を持て」とかいうのも軽く流しておけば良いでしょう。自分のものでもないものにそこまで自分を捧げても、得られるものがありません。それだけ頑張るのであれば、じぶんの代わりにお金を稼いでくれるものを増やすためにでも向けたほうが、もっと将来のためになりますし、勤め先への依存度が下がれば自分と合わないタイプの人との関係もいつでも切れるので悩まずに済みます。
少しドライに見たほうが良い
今回のコロナ禍で、リモートでも何とかなる=多少不便なところはあるものの、成果の寄せ集めでもそれなりの形のものが出来上がる、と分かってしまったので、これからはお抱えの雇用が減り、細々とした仕事を受発注するスタイルがわりと普通になるかもしれないので、人を雇う側も働く側もそれに慣れておいた方が良さそうです。
人に過度に依存・期待せず、でいれば何かがあってもガッカリせずに済みます。依存と期待はじぶんの資産=自分の代わりにお金を稼いでくれるものに向けたほうが、もっと応えてくれるかもしれません。