よく「貧乏には耐えられるが、孤独には耐えられない」とか聞いたりしますが、いかにも常に周りとの同調を求められる日本らしさのようなものを感じます。
ですが思うに、言い方は悪いですが孤独はお金で何とかすることもできますが(それがいいかは別としてですが…)、貧乏になると何かを選ぶということはできなくなる・やりたいことは何もできなくなるので、やっぱりお金がないほうが生きていくのは辛いんじゃないでしょうか。
雇われとしての資質が乏しくても大丈夫
商売ができなくなったり、勤め先に入れなくなったりと、他人との直接の接触機会を奪ってしまうコロナ禍は多くの人にとって災難です。
でも勤め仕事をしている自分を人生の中心に据えなければ=給料以上の他の収入源を持っていれば、コロナ禍も少なくとも経済的には脅威ではなくなります。今の段階ではまだこの病気に罹ってしまえば死んでしまうかもしれない危険度自体はわりと平等ですが、給料以外の収入源があれば、大体決まった額が定期的に入ってくる状態にあるので、人が集まる危険なところに出入りすることを極力避けて、離れたところで好きなことだけをやり続けて生きることができます。
コロナ禍が起きる前は、みんなが一つの場所に同じ時間に集まり仕事をするスタイルが主流だったため、その場の空気を読んだり周りと合わせたりコミュニケーションを図る力が大事と言われていました。
ですがこうして物理的な接触が制限されるようになると、そうした力を発揮しにくくなり、純粋に何をどれだけできるのかという部分がより重視されるようになるので、今までいわゆる「人と上手くやる」力で何とか生き延びてきたような人たちにとっては、せっかくこの先もその力を使って何とかしがみついていこうとしていたのに、今回の事態は本当に迷惑というか死刑宣告みたいなものでしかありません。できないことがバレてクビになってしまった人はかなりいるようです。
離れていてもかき集めてつなぎ合わせることでそれなりの形に仕上げられることが分かり、もう同じ時間に一か所に集まるところはもう不要ということで、大きなオフィスも要らなくなって来たりしています。人についても、ずっとお抱えで雇っておく必要はないとなりつつあります。
そうした流れが出ていたことで、世の中が暗くなると不安になっている人が多いようなのですが、裏を返せば、やっても効果がないことをやり続ける必要はないので、群れたり合わせたりすることを強要されにくい良い環境になったとも言えます。
勤め先への依存度を下げると
「べったりする」「上手くやる」では雇われ続けることができない環境下ではどうすればよいのでしょうか。答えはそれほど難しくありません。
どこかに勤めながら(移り続けながらでも)、給料の一部を先取りで避けておき投資の種銭つくりに回し、ある程度の額に貯まったら、自分のためにお金を生んでくれる資産を買えばよいのです。
毎月数万円を投資用に避け続け、程度の額になったところでまずは中古の戸建てなどの不動産を買います。そこから家賃収入が得られるようになれば、経済的な安心までの距離はグっと縮まります。
貯金と家賃の上がりを合わせて再投資に回すことで、次は最初の半分の時間でふたつめの不動産を買えます。その後も同じように全てを再投資に回すことで、3件目、4件目と加速しながら収入源を増やせます。
年齢を重ねれば何かでお金が掛かることもありますから、少しは現金に近いものも持っておいたほうが良いので、4~5件持てたら、そのあとは高配当が付く銘柄の株式への投資に切り替えます。
同じように毎月の貯金と全ての上がりを投資に回すことで、毎年着実に配当収入も増やせるので、もし20代前半で始めていたとしたら、投資を始めてから20年経ち、ちょうど勤めをクビになりやすい年齢にさしかかるころには、たぶん元々の給料と同じくらいの額の副収入を稼げるようになっているでしょう。
勤め先での給料や環境などについてはそれほど深く悩んだりする必要はありません。合わなければ次に移り、どこかでまた働けばよいだけです。給料が低くても、昇給が無かったとしても、それほど大きな問題ではありません。自分で他の稼ぎを増やせばよいだけです。こうして給料以外の稼ぎを増やしていけば、じぶんとは合わない他人の価値や環境に無理矢理合わせ続けて生きる必要も無くなります。
これまでは、みんなで集まりガマンし合うことで何とかなってきた部分が大きかったのですが、今は環境も変わり、苦しい時にみんなで寄り集まったものの全員仲良く吹っ飛ぶことも珍しくありません。ゼロにいくら大きな数字を掛けてもやっぱりゼロにしかなりませんから、集まっていても「貧乏は耐えられ」なくなります。そういうものからは距離を置いてしばらく孤独になるほうがいい時もあります。
こう書くと投資家は自分勝手な生き物のように聞こえてしまうかもしれませんが、出資をして経済を回す起点に近い役割を担っているので、経済や社会への貢献度はすでに在るものにただ寄生して生き続けようとする人たちよりは高かったりします。ですから投資をしてお金を得ることを悪いと思う必要はありません。
働く人も大事ですが、リスクを取ってお金を出す人も大事で重要な存在で、その出資をする側に回ることは、雇われとして必要とされる資質が乏しくても簡単にできます。