勤め先でコキ使われると、「これだけ頑張ったのだから給料が上がって当たり前だ」と思ってしまいがちですが、なかなかそうならないのは何故なのか、理由を調べたら給料とはそういうもののようです。
雇われ先のためにどんなに頑張っても追加でのリターンを得にくいので、それならばもっと自分のためだけに稼いでくれるものを積み上げることに集中したほうが効率がよさそうです。
雇用にかかるコスト
今まで人を雇ってまで何か事業を展開することは特に考えてこなかったのですが、ひと一人分の雇用を生み出すということは、何となくイメージしていたとおりにかなり大変なことのようです。
幻冬舎ゴールドオンラインの「なぜ従業員は「給料の3倍稼いで一人前」だと言われているのか」によると、大雑把な目安として、自分がもらう給料の約2倍を雇い先のために稼いでくることによって、雇われた人たちが勤め先にいるためのコストや出資者たちへの還元分をまかなうことが可能になり、給料の3倍稼ぐことでようやくその分を組織の成長に回すことができるとあります。
この図式で行くと、最低でも2倍分の稼ぎだせば、組織自体を何とか維持できるかのようにも見えますが、それだけの稼ぎではまだ組織にずっと必要な人とは見てもらえなさそうです。
業界内でにその組織だけしかないくらい独占的な地位にあればそれでも何とかなるかもしれませんが、ふつうは他にもいくつか競合が居て常に競争をしているはずですから、自分が属する組織の成長のための資金も稼がないと、勤め先自体の競争力が落ちて結局は自分の居場所もなくなってしまうので、給料の3倍分くらいを外で稼ぐことでやっと組織に必要な人材とみてもらえるようです。
この指標は外で稼ぐ仕事を担当する人を基準に作られていますが、組織には売り手を支える仕事をする人たちも必要なので、これを見ていると、それぞれから不満が出ないように配慮しつつその人たちの働きをどう評価するかといった難しさなども改めて感じさせられるところがあります。
では給料の3倍分を稼げるようになり、安定的にその数字を出し続ければ、あるいはそれ以上にいい数字を出せれば、給料は増えるのかというと、そう簡単にはいかないようです。
働く側としては特別な貢献をして売り上げを伸ばせたなら当然そのぶん多く給料を増やしてほしいといいたいところですが、「超入門資本論」(小暮太一氏著)の解説によると、よい働きへのご褒美は昇給ではなくて、「継続してそこで雇用してもらえること」とあります。
ボーナスあるいは昇給が当たり前なのではなく、使い続ける価値があると認めてくれること…。雇用が継続・安定するだけでもありがたいと思いなさいという感じなのですね。たしかに実際この本にもあるとおり、たとえ売上を2倍に増やせたとしても給料が上がる幅はせいぜい2~3割程度で(それでもたぶんほかの多くの人よりは昇給の幅が大きくて恵まれているとは思いますが)、昇給が決まるのも次の期くらいまで待つこともあります。給料アップではなく、上の肩書や権限を与えられて済ませられた感じの人もいるので、なかなかお金という形で返ってはきにくいようです。
雇われる側としては待遇に不満があればもっと正当な評価をしてくれるところに移るという選択肢もあるので、雇う側も優秀な人が外に出るのを防ぐためにある程度は昇給をさせるでしょうが大体その幅は小さいので、勤め先で頑張りすぎるのはくたびれ損のようにも見えます。
「もっと働く」よりも出資をする側に回るのが効率的
このように給料というのはもともと増えにくい性質のものなので、勤め先にはあまり過度に期待をせずに、少なくとももらった給料の分はしっかりと働き、収入を増やしたかったら自分の給料の一部を例えば不動産や株式などの、自分のために家賃や配当などのお金を稼いでくれるものへの投資に回すほうが、効率よく着実に稼ぎを増やして行けそうです。
ここまで人を雇う側の人たちの思惑や事情について触れてきましたが、雇う側の人のことを悪く言うつもりはありません。
ひとを一人雇うにはこれだけのお金が掛かり、しかも雇うからにはその人の生活に責任を持ってあげなければならないのですから、人を雇うって本当に大変なことだと思います。
雇用はそれ自体がひとの生活基盤を作る事業のようなものなので、それを背負ってビジネスをしている人たちのことを尊敬しています。