本来は公平であるべきとされているのですが、今のところ実際には税は手間を掛けず徴収しやすいところから取れるようになっていたりします。ですから、 もっと豊かに暮らすために、あるいはもっと資産を築きたいのでたくさん働いて収入を増やそうとすると、逆に損をしてしまうかもしれません。
何のために作られたイメージ?
サラリーマンとして年収1,000万円もらうのが格好いいというイメージ的なものがどうやって出来上がったのか詳しい経緯は分かりませんが、何となく、目立つものが格好いいというのを上手く利用されているように見えますね。
LIMOの「「うちは貧乏だから」が口癖の家庭。でも実は年収1000万円!その理由とは」( https://limo.media/articles/-/19090 )によると、頑張って働いて年収1,000万円をもらえる人は、給与所得者の中でもわずか4~5%しかいないそうですが、そこまで到達できても本当はあまりいいことがないという実情がうかがえます。
たくさんお給料をもらってもなぜ苦しいのでしょうか。理由は大きく二つあり、まず一つ目の理由は税負担が重いことと、二つ目はたくさん給料をもらえる分だけ様々な補助が薄くなったり受けられなくなったりすることにあります。
年収1,000万円ともなると累進課税の仕組みによって税率も少し高くなり、今年から給与から控除できる額も減ったため、税負担が大きくなります。さらに社会保険料なども納付額が高くなるので、実際の手取り額は700万円くらいにまで減ってしまいます。
これに加えて例えば児童手当が減額されたり、学費の無償化の対象外になったりと、公的な補助もほとんどなくなるので、子育てや教育費はまともに重くのしかかります。
さらに、この二つだけでなく、たくさんお給料をもらっても暮らしが楽にならない本当の理由はたぶん、今回この記事中では触れられていませんでしたが、「たくさん稼いでも、その分使ってしまうから」ではないでしょうか。
給料の場合は、その高い給料をもらい続けるため=自分をそれなりの人間に見せるために着るものや住むところや口にするものなど全てにお金が掛かってしまうという面もあるし、それに加えて、仮に毎月ほぼ使い切ってしまっても、暫く待てばまた次の月にもらえるからと、たくさんもらえるようになれば、それをあてに生活レベルを上げてしまいがちです。 そうなると、「収入-生活費」の差額は一向に増えないので、生活が楽になることはありません。
ですが多く稼げばたくさん消費をして目立つことは一応可能なので、「うちは貧乏だから…」という内情を知らない人からすると、それが格好いい・自分もそうなりたいというように外からは見えてはしまいます。
それでも「働いて高給を目指そう」と煽られてしまうのはなぜなのか。もちろんこれには先程も触れたとおり煽られるがままに真似をして自発的にパーっと使ってしまうからという面もあるでしょうが、もうひとつは税制自体にもヒントがありそうな気もします。
勤め先から給料をもらうとき、わりと税金や保険料の支払いを勤め先が代行してくれたりしますよね? 勤め先でも確定申告をしたことがないという人はかなり多く、確定申告という面倒くさい書類の精査・審査を一件ごとにこなさなければならない給料以外の他の収入を増やしてもらうよりも、もっと頑張って働かせて給料から手っ取り早く税を徴収するほうが楽だからなのかも…。そう考えると、より確実に徴収できるようにするために作り上げられたものなのかなと、思いたくもなってしまいます。
働いて高給を得られたとしても、このように多くのケースではパーキンソンの法則どおりに、入った分だけ出てしまうので、結局のところ給料が高くても安くても手残りはほとんど無しと変わらず、暮らしは楽になりません。
給料以外の収入があると
働く以外の方法で、例えば家賃や配当や広告料などの収入だけで1,000万円稼ぐ場合、差し引ける経費も色々あるため、最終的な手残りは、給料としてお金をもらう場合よりも多くなります。
しかもこれを法人化してやっていた場合は、税務にプロの助けが必要にはなりますが、法人税の実効税率は個人に課せられる累進課税の最高税率よりも全然低いので有利だったりします。
家賃を得る場合は減価償却など実際には外に出ていかない経費として収入から差し引くことができたり、広告料に関しても例えばサイトの構築費や執筆料などは経費でありながら自分の手元(というかサーバーに)に資産として残るのでずっと使えて稼いでくれますし、配当については個人であれば分離課税で税率は20%で固定で上がりません。全自動というのはさすがにムリですが、適切なメンテや調整をしながら半分自動的に稼げるという点も、労働にはない大きなメリットです。
働いて給料を得るのとは異なり、家賃や配当や広告料を稼ぐといったことは人から見えにくく目立ちませんが、それゆえに目を付けられにくくて実はおいしいとも言えます。