リーマン後や震災後には中学受験者数が1~2割減と大きく落ちたのですが、今回のコロナ禍では私立高がオンライン授業の普及率の高さなどの強みを発揮したため、意外と人気は落ちないと見られているようです。
ただ、積み上げた学力が将来役に立つかどうかはまた別の問題です。知識量や虫食い部分を埋める能力は機械にはどう頑張っても勝てないんじゃないかと思うのです。ですから、学力を積むよりもお金をどう使って増やすかを教えてあげるほうが余程役立つんじゃないかという気がします。
中学の受験熱は冷めない?
NEWSポストセブンの「コロナ不況でも「中学受験断念組」は意外に少ないとみる理由」によると、コロナ禍による収入激減や大量失業などにより中学受験者も大きく減るかと思いきや、世の中全体でどんなにカネがなくなっても意外と受験人口は減らないと見られているようです。
45歳定年や40代以上の社員大量解雇といったことが昨年くらいからわりと普通のものとなりつつありますが、それでも学力信仰はまだ強く残っており、これが人生で逆転するための最後の武器と信じている人は多くいるので、そうなるのも理解はできます。
でも現実は厳しいですよね。AIなど機械の性能が良くなりすぎたせいで、特に事務系の仕事は次々と機械に奪われてしまい、普通に学校で勉強をしてきたという人が高いお金では雇われなくなってきています。
学力信仰が強く残っているのはもちろん日本だけではなく、他国も似たようなところはあります。例えばアメリカなどでは子どもを有名大学に進学させると卒業までに4年間で合計3,000万円前後とか普通に掛かるそうですが、今まではそれでも十分にもとが取れるからということで、無理をしてでも何とかお金を工面して、あるいは奨学金を得られるよう努力させるなどして行かせたようですが、アフターコロナではどうなるでしょうか。
前回の10年前の危機後は、NYだったかどこかで経営学修士まで取った27~28歳くらいの若者が仕方なくタクシードライバーの職に何年も就くといった姿も普通にありました。それならば最初からもっと誇りをもってプロのドライバーとして現場で経験を積みつつ、学費と同じくらいのお金を掛けてリムジンなどより高級な車を買って単価の高いお客さん相手にビジネスをしたり数年かけてそれを大きくしたりなんてこともできたのではないかなとか思ったりもします。そのほうがどこかに雇われて勤めるよりもいいお金になったんじゃないでしょうか。
教育に大きなお金を掛けても活躍の場が与えられなければ投資した額は回収はできないし、どこかに活躍の場を与えられたとしても、先程触れたように、使える年数自体がだいぶ短くなってきています。
段々とお勉強で稼げなくなっている
頑張ってどんなに頭を鍛えようにも、AIの進化のスピードのほうが速いので、生身の人間を鍛えることに多くのお金を使いすぎるとムダになってしまうかもしれません。どうせ同じ大きなお金を教育に使うなら、いい学校に入るため従来型のお勉強につぎ込むよりも、そういった分野の専門的な知識や技術を深く学ぶために使ったほうが、開発者としてもっとどこかに雇ってもらえるチャンスがありそうです。しかもプログラミングやロボット技術についてはわりと自分で調べて知識を拾っていかないといけない部分も多いので、「習う」にしても普通の受験・進学ほどはお金は掛からずに済むんじゃないでしょうか?
就職氷河期世代といわれる人たちの中には高学歴の人も多くいましたが、新卒時に景気が良くなかったこともあり、いい職に就けた人が少なく、その後もずっと「学歴に見合った」給料はもらえていないという人も多くいます。それ以降の世代も少しは良くなったものの全体的には昔と比べると給与面では不遇だったりするので、この先も働いていい暮らしを手にするとかはあまり期待できません。
もちろん人間を軽視するような傾向がいいとは思いませんが、経営する側としてはどうしても生身の人間を育てるよりもより便利で効率的な機械の導入を推し進めようとするでしょうから、細くなりつつある道でずっと頑張り続けるよりも、少しでも豊かに生きていくためには他を目指したほうがいいと思うのです。
それがいくら生むのか、は今まで以上に強く意識する必要があります。