コロナ禍が起きたことによって、「○○に住むこと、○○を着ること、○○を食べることがステータス」というのは、少しずつ廃れていくかもしれませんね。個人だけでなく会社とかも、「もう大きくなくても、キレイでなくても、ハデでなくてもいいや」となってきています。
経済は見栄のための消費で成り立っている部分も大きいので、すぐには無くなったりはしないでしょうが、コロナ禍が起きなかったとしても、だんだんと機械の性能が上がって人間を押しのけ、働いて高給を得るのが難しくなってきていたので、見せるためにお金を使うどころではなくなっていきそうです。
いままでは贅沢できることが格好いいとされていたのですが、ピンチの時の助けになってくれないことに気づいた人もいるでしょうから、単なる消費ではなく何か別のことにお金を向けたいという人も出てくるかもしれません。
機能性や利便性?それともコスト?
幻冬舎 Gold Onlineなどでときどき、おしゃれで人気とされている表参道や港区や少し遠くのたまプラーザに住むとどうなるか・いくらかかるのか的なものを見たりしますが(「片田舎から急成長した「表参道」…一般庶民が住むのは無謀か?」など)、それらを見る度に、今までイメージで人を集めていたところは町の機能や利便性が整っていないと、これからは厳しいだろうなと思ったりします。
いわゆる住みたいところランキングみたいなものは以前からありましたが、経済が普通に回っていた時は、あまり深く考えずにそういったところに住んでもべつに問題はなかったのかもしれません。ですが今回のコロナ禍のような事態が起きると、収入が大きく減ったりして、もしくは最悪の場合は職を失ったりして、そうしたおしゃれな所にすむための生活費が重くてキツい・でも移りにも金が掛かるのでどうにもならず、という人も結構いるんじゃないでしょうか。
今まで勤め先で順調に来れた人も、この先はどうなるか分かりません。見通しが立たないとお金を大事に使わなければならないので、住む環境についても、コストに見合っているのかという部分はより厳しく見ないといけません。
距離についても捉え方が変わっていくでしょう。これまでは少しでも職場に近いところに住むためには家賃が高くてもそういったところを選んで少しでも多く時間を買うべしとされていましたが、仕事は意外とリモートでも何とかなることが分かってきたので、そうするとわざわざハデなところに高い金を払ってまで済まなくてもいいということなります。
高い賃料を取れる物件は強かったはずなのですが、こういう事態が起きると、キレイであることや「○○に近い」が活きないので、将来何が起きるかは本当にわかりません…。
見てくれにも力を入れなくなる
コロナ禍による収入減は着るものへの消費にも影響があって、被服費はわりと早い段階で削られたりもするので、4月だったか老舗のアパレル会社の倒産はタクシー業界や飲食の苦境に次いで目立っていたような印象もあります。
最近になりようやく通勤・出社が許されるようにはなりましたが、事態は完全に収束したわけではなく、今でも「なるべく集まるな」となっていますから、身につけるものに関しても、見られる機会が少なければそんなに力を入れなくてもいいやという心理が働きます。なので3~5月は、マスクもしていてしかもずっとリモートワークが続き出社もしないので、「ここ最近はまったく化粧をしてない」という女性もいました。
普段使い用や作業用ですぐに損耗してしまうものは今でも安定して買い替えの需要があるでしょうが、見せるため系のものはマスク無しでも普通に外出できるようになるまではなかなか戻りません。
事態が落ち着いてもしばらくはお金の回りが悪くなるので、これも住居と同じように、同じお金を使うにしても、見た目よりも耐久性や通気性などといった機能に対してもっとお金を払うという形に変わるかもしれませんね。
美味しいものはどうなる?
食についても、お金の使い方に変化が出てくるか気になります。
6月に入ってからレストランなども通常営業に戻りはじめましたが、感染リスクが気になる人は多いので、客足はまだ少ない様子です。
4月分の失業者数は主に非正規雇用の人たちの雇止めによるものが多いらしいのですが、正規雇用で働く人たちにもこれから影響が出るとも言われているので(12月頃?)、コロナ禍自体が収まったとしても、その頃は外食できる余裕がある人の数は減っているかもしれません。
それを待たなくても、景気が悪くなりいつクビになるか分からないとなると、外で美味しいものを食べたくてもお金を使いづらくなります。
コロナ禍が起きるまでは、SNSで体験をシェアすることが流行ってはいましたが、この先それがどうなるかも興味深いところです。
きつい中でどうなっていくか
頑張るためのモチベーションとして、いいもの・コトに触れることはときどき必要です。「またあれが欲しい」と思えば、キツいことも成し遂げられたりします。
ですが、あまり多くを消費に使ってしまうと、不測の事態が起きた時に困ることになります。
いいもの/ことを体験するといい思い出は残るのですが、なかなかそれで稼げないし、苦しい時に助けになってくれないところが難点です。
贅沢な食事とかも、蓄積ができないにしても、代わりに例えばお金を使った分だけもっと寝ずに動けるとか何かあればいいですが、なかなかそんなゲームのようにはいきません。1食分は1食分ですから、味のちがいはあっても、食後に動ける運動量はそんなに大きくは変わりません。
人生を楽しむためにある程度のぜいたくは必要で、無理矢理回していた部分がなくなってしまうと経済はかなり冷え込んでしまいますが、バブルの後遺症というか後始末に30年も掛かっても終わらないところを見ると、無理に膨らませるよりも必要なもので回すことに力を入れるほうが、富の積み上げもできるし、こうした事態が起きたときに大きく落ち込むことも防げるので、そのほうがいいと思うのです。
今回のコロナ禍が消費のあり方を変えて、いつか誰かのためになるもの(もちろん目で見えないものであっても良くて)を積み上げていくきっかけになってくれればいいですね。