いまでも多くの人が「年収1,000万円」にある種のあこがれのようなものを抱いていますが、先日、やみくもに高い年収を得ることを目指しても(+もし得られても)疲弊するだけなので、そもそもなぜ年収1,000万円を得たいのかまずはよく考えるべき、という記事を見つけました。働いて雇われ先から得る年収が高い=生活が楽になる・贅沢ができるではないので、是非参考にしてもらいたい内容です。
あらゆる犠牲の上に成り立っているスタイル
雇われて働いて高い年収を得ようとする場合、大抵はかなり激務です。プレジデントオンラインの「「年収1000万円超」大企業ミドルは本当に幸せか 人生後半戦は「優先順位」を考え直せ」(https://president.jp/articles/-/30947)にもありますが、年収1,000万円以上稼ぐサラリーマンの多くは、雇われ先から大きな責任を負わされ激務に耐え、プライベートもほとんどなく、滅私奉公の代償として高い年収を得ているケースがほとんどという印象を受けます。
実際に、働いて年収1,000万円以上もらう人は、働き方改革の恩恵もあまり受けることができず、逆にそれを推進・カバーするために犠牲になりがちで長時間労働に耐えている人を多く見ます。
働きすぎて肉体的にも精神的にも参ってしまい、結局働けなくなってしまう人もいます。
長時間労働のせいで、自分のプライベートに使える時間もほとんどなく、家族との距離もできてしまい、結果家庭が上手くいかなくなったなんてことも今でもよく聞くし、実際に見ます。
これらをみると、働いて年収1,000万円以上稼いでもあまり幸せにはなれないようにも見えますが、企業にしてみれば、それでもやりたいという人は多くいるので、都合よく使える存在でもあるのでしょう。
若い人たちに滅私奉公を強いることはできない
今の若い人たちは賢いと思います。
無理して働いても、お金をもらうだけでは埋めきれないくらい自分のプライベートや健康が犠牲になってしまうリスクをよく理解しているようです。
企業の側としては高給で滅私奉公してくれそうな人を探していますが、若い人たちも、自分たちがある程度の年齢になれば企業が突然解雇して捨てられてしまうこともあるのを前の世代に何が起きているのか実際見ていてよく知っています。
先程の記事中にもありますが、若い人たちは年功序列がなくなってきているのもよく知っているので、とりあえず入ってから三年我慢してやってみろ的なものももうほとんど通用しません。意味のない我慢は単なる無駄としか見られないようです。
しかも今は、普通に生きられればそれ以上は特に求めないという意味で、どんなに優秀でも無理に出世を望まない人も出てきているので、中々こういった部分でのギャップは解消しなさそうです。
違う形で
このように、単に働くことで高い年収を得たところで代わりに何かを失うことにはなるので、あまりいい生き方ではないのかもしれません。
代わりに、
収入はいつまで経ってもあまり変わらないとしても、毎年少しずつ副収入が増えるようにすれば、あまり自分を犠牲にせずに、年収1,000万円以上を実現することが可能です。プライベートも充実させるだけの時間も持つこともできるので、働くことを頑張る以上におすすめです。
プライベート優先で行くのはどうか