日本では以前から詰め込んだ知識量や記憶力の良さが「頭の良さ」とされていたところがあるため、自分の子供に、よその子供よりもより多くを詰め込むめに+テストで1点でも多く点数を取らせるために、子供に高額の教育費を注ぎ込んでいたりします。「塾」とかいうものがその最たるものでしょう。
知識量・記憶力は、機械には敵わないのに…
子供の頃、自分も行かされていた時期がありますが、父の転勤に伴い13の終わりごろに日本を離れることになったので、それまで通っていたこと自体・得た知識など、完全に無駄になりました。行った先の豪州でも、詰め込まれた知識など何の役にも立ちません。なぜなら、知識量・記憶力など評価の対象とされないからです。足りない知識などは外から引っ張ってくれば良いだけのことなので、テスト等でそれよりも、ありものをどう加工して何を生み出すか、必要なものが足りない中でもどうこれを解決するか、といった力が試されます。
日本のオジュケン的勉強は、虫食い問題的な単純なものごとの解決には役に立つかもしれませんが、複合的な問題の解決には役には立たなさそうです。これが一番、今の学校や「塾」とやらに全く足りていない部分かなと思ったりします。結局そういった部分をどうにもできないため、今は普通に勉強してきたはずの学生たちを中々採用してくれません。
多額の教育費を注ぎ込んできた親たちにしてみれば、「お前ら、何で他人より数倍頑張って知識や記憶を積み上げたウチの○○ちゃんを雇わないんだ!」という気持ちかもしれませんが、あまり役にも立たない知識・優れた記憶力(特にこれは機械が簡単に取って代われる部分)しか持たない学生はそれほど必要とはされていないため、そうほざいたところでどうにもなりません。
先日見たこちらの「塾の信者」になった親が子どもをつぶす実態(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191104-00311349-toyo-bus_all&p=1)という記事によると、いまでもそうした知識量・記憶力重視は全く変わらないようです。
大卒でもよくても年収300万円台、非正規で200万円台、アルバイトに近い形で100万円台、が普通になった中で、多額の教育費を注ぎ込まれて従来型として育つ子供たちが、もしかすると使われもせず・使われても高くは払ってもらえない、なんて姿を思うと不憫でなりません。
塾とかいうところは商売ですから、「一生懸命お勉強すれば、いいお学校には入れて、いいお仕事に就き、いいお給料を…」と煽ってくるでしょうが、もう昔とちがい実際にはそうならないのですから、彼らの言うことにまともに取り合う必要はありません。オジュケン的勉強はもう役には立たないので。
中学受験の勉強とやらに多額の投資をするよりも、少しでも新しい技術に触れさせ学ばせてあげたり、もしくは教育に掛かる費用と同額を投資の原資として持たせてやるほうが、よっぽどその子のためになるでしょう。